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剛、ゴロちゃん、そして水野氏の男3者に対する、乃里子の心情の書き分けが素晴らしいです。
金持ちでまわりの人を見下すプレイボーイな剛に対しては、どうしようもない男と思っていても、会話がテンポよくはずみ、気が合うのできらいになれず、“ウスラ馬鹿”のゴロちゃんは、好きだけど、言い寄れず。そして、大人の魅力を見せる水野氏と。 剛みたいなのとうまくいき、ゴロちゃんみたいなのとうまくいったりしないのが、現実にはあることのように感じるので、せつなく思ったりします。これはアフォリズムとして現れています。 「世の中には二種類の人間がいる。言い寄れる人と、言い寄れない人である。私にとって五郎は、『言い寄れない』人であった。ほんとに言い寄れるのは、あんまり愛していない人間の場合である。失敗したってどうせモトモト、というような、間柄のときだけである。言い寄って拒絶されたら、さしちがえて死のうというような、しんから惚れている人間の場合は、これは失敗を許されないから、究極のかたちは強姦致死になってしまう」 ところで、乃里子の 「私は、いろんな種類を少しずつ、きれいに盛って豪華に見せる天才である」 という能力が素敵だなぁと思います。 つづく 『言い寄る』(田辺 聖子/講談社)
by dskiwt
| 2008-12-10 23:59
| 田辺聖子
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